あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。
主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。
だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。
人の高ぶりはその人を低くし、 心にへりくだる者は誉を得る。
しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。
権力ある者を王座から引きおろし、 卑しい者を引き上げ、
主は高くいらせられるが低い者をかえりみられる。 しかし高ぶる者を遠くから知られる。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、 天国は彼らのものである。
いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、 その名を聖ととなえられる者がこう言われる、 「わたしは高く、聖なる所に住み、 また心砕けて、へりくだる者と共に住み、 へりくだる者の霊をいかし、 砕けたる者の心をいかす。
彼はあざける者をあざけり、 へりくだる者に恵みを与えられる。
それで人はどうして神の前に正しくありえようか。 女から生れた者がどうして清くありえようか。
人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。
しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。
なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。
人の心の高ぶりは滅びにさきだち、 謙遜は栄誉にさきだつ。
主を恐れることは知恵の教訓である、 謙遜は、栄誉に先だつ。
彼は高ぶる者を低くされるが、 へりくだる者を救われるからだ。
彼女は言った、「どうぞ、はしためにも、あなたの前に恵みを得させてください」。こうして、その女は去って食事し、その顔は、もはや悲しげではなくなった。
今こそわたしは知った。実に彼らはイスラエルびとにむかって高慢にふるまったが、主はあらゆる神々にまさって大いにいますことを」。
だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。
このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
そこでわれネブカデネザルは今、天の王をほめたたえ、かつあがめたてまつる。そのみわざはことごとく真実で、その道は正しく、高ぶり歩む者を低くされる。
彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。 義なるわがしもべはその知識によって、 多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
しかしイスラエルの子孫は皆 主によって勝ち誇ることができる」。
たといわたしは正しくても、 わたしの口はわたしを罪ある者とする。 たといわたしは罪がなくても、 彼はわたしを曲った者とする。
見よ、その魂の正しくない者は衰える。 しかし義人はその信仰によって生きる。
あなたは行って、喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。神はすでに、あなたのわざをよみせられたからである。
あなたのしもべのさばきに たずさわらないでください。 生ける者はひとりもみ前に義とされないからです。
主は言われる、 「わが手はすべてこれらの物を造った。 これらの物はことごとくわたしのものである。 しかし、わたしが顧みる人はこれである。 すなわち、へりくだって心悔い、 わが言葉に恐れおののく者である。
尊い人の前で下にさげられるよりは、 「ここに上がれ」といわれるほうがましだ。